2008-04-27

夜勤

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宮古島旅行から帰って来て、久しぶりに仕事に行った。行く前に夜勤、帰って来てからも夜勤だった。夜勤は、比較的日中の雑用がないため、精神的には楽だが、宮古島旅行前後の仕事における自分のコンディションに不安を感じる。人が駄目なのだ。対職員、対利用者、人と関わる事にストレスを感じる。感じる事もそうだが、自分が他者に感じさせる事にもストレスがある。要は自分が関わる事に嫌悪すると言う事だ。それ以上に、相性の合わない職員と関わる事がたまらなく嫌になっている。

夜、一人になった時にホッとした気持ちになる。自分のペースで仕事を進められるからだ。誰かが指示を仰いでくる訳でもなく、後ろから咳かされる事なく、自分がとる仕事の優先順位で進めることが出来る。フットコールやナースコールが鳴ったとき、コールを優先するのか、見守りを優先するのか、今行っている仕事の手をとめるのか、他のスタッフがいると一々口頭で指示しなくてはいけなかったり、バンバン指示されたりする。どっちも嫌なのだ。指示されれば、「気がついたならば、お前が行けよ」と思う。指示しなくてはいけない立場の時は、自分が動いてしまう。動いた後に、「行ってもらってすいません」とか言われる。前に在籍していたブランドでは、それぞれが意志を持ち動いていたように思う。誰に指示される訳でなく、指示する訳でもない、仕事の優先順位を自分で取りながら、全ての仕事をこなすぐらいの意気込みがあった。今のブランドは違う。人を動かせてなんぼだと言う空気がある。今はだいぶ減ったが、一々指示しないと動けなかったり、動かない。フロアリーダーが交代になってから、自分本位に動くようになったと思う。自分の動きに待ったをかける人がいなくなったからだ。「お前に言われんでも、全部自分がこなしたるわい!」と言う気持ちになる。指示している暇があったら自分が動け!指示される前に自分が全部こなしてやると。自分が間違っている事は解っているのだが、相性の合わない人とチームを組む事に、ストレスを感じるのだった。

自分の事を、お前が何様だと思う。間違っている事もよく理解している。しかし、このストレスから逃れたいと思う自分がメラメラと顔を出している。夜勤の仕事で,夜と朝の他のスタッフと関わる時間が、第一の夜勤の山場と言える。

そして認知症の利用者へのストレスもかなり我慢出来なくなっている。豹変する様子、理解出来ない行動、重なる危険な状態、人間が人間をケアするのだから、優しくゆったりとケアしなさいと言う大前提があるが、一人で仕事をする上で、危険状態の優先順位次第で,雑になったりする。他の職員がいない事は、こう言った雑なケアをしたときに理想主義者からの雑念がない事が素晴らしく良い。雑なケアをする状態を理解出来るケアの方向性を持った人ならば、一緒に仕事をしていてもストレスはないのが、理想主義者は自分が働かないくせに、人の事を批判する輩が多い。それがストレスなのだ。脱線したが、そう言った利用者のケア、その一つ一つの中にストレスのかかる物がある。それが我慢出来なくなっている。この仕事をする上で、論外な気持ちが発生しているのだ。何の仕事をする上でも、人とのつながりが大変になって来ると思われる。しかし今の自分は、自分本位にヤバい状態になっている。

夜勤明けの朝、早番が出社すると、夜勤業務最後の山場が待っている。早番の職員で、ストレスが違って来る。自分が明けの時に、嫌いなおばちゃんと当たる事が多いのだが、今日もまた、このおばちゃんの働きぶりにイライラし、その気持ちを隠す事に労力を注ぐ。自分も同等に人へのストレスを与えているのだから、言ってはならぬ事なのだが、相性が合わない理想主義者に I hate you なのである。

こんな事言っちゃいけない、思っちゃいけない、そう思うから心の中にしまう。しかしそれはストレスになり、以前のような胃潰瘍の要因になったりする。そこから逃れる為にワシと言う人間は、愚痴を吐く自己防衛をとる。仲の良いナースに、この状況を支離滅裂に話をする。さすがナースで、一度精神科を受診しても良いかもしれないと、アドバイスをくれた。彼女の表情からは、ワシが相当ヤバい事を口にしている事がありありと解った。だから他の人に愚痴ってはならぬ事を悟り、こうしてブログでストレス解消している。ブログ名の通り、今日もまた呟きなのだ。

宮古島旅行がなかったら、今頃どうなっていたのだろう....
これから仕事をして行く自信がない。誤摩化しもきかなくなっている。一時期の心の乱れである事を祈る自分が居る。

piccolo

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2008-04-13

介護福祉士合格記念

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相方と、二人揃って合格した事を奇跡に感じ、証明書が届いての記念写真を撮った。合格通知を片手に、カメラに向かってハイポーズ。

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カシャリンコ!

そして、そして、
すぐにブログにアップするワシがいるのだった。

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tag : 介護 第二十回介護福祉士試験 介護福祉士

2008-04-12

夜勤明け

夜勤明けだった。何もない、平穏無事な夜勤だった。しかし、明けを迎えると、ドッとマイナス思考が自分を襲う。何か忘れているのではないか、何か問題があったのではないか、他のスタッフが、自分の仕事に意義を唱えているのではないか、沢山のマイナス要素が自分を襲う。

うちの施設は仮眠がとれない。休憩一時間の中で、仮眠をとる事が無理だからだ。それでも自分は、朝までスタミナが保たない事を懸念し、無理矢理仮眠する。しかし何十分も眠れない。それがネックになっているかどうかは分からないが、朝のマイナス思考は今の施設に異動して来てから生まれた物だ。

比較的、夜間は楽な今の施設。楽な理由に一人夜勤と言うことがある。他のスタッフからイライラを貰わないのは、自分の中でとても重要なのだ。一人夜勤だと、フットコール、ナースコールが重なったり、徘徊や認知症の利用者の訴えの受容が大変だったりする。どちらが良いのかと言えば、自分にとって他のスタッフからイライラを貰わない事が最重要なのだ。

他のスタッフからイライラを貰うって、どういう事か?
介護の世界に限られた事ではないと思うが、仕事の仕方は十人十色で、それぞれのペースややり方があると思われる。介護や看護は、対人間と言う事での問題がいくつかあるのか、人からイライラする事があるのかもしれない。仕事のやり方がそれぞれあるのは分かるが、仕事をしている振りをして、仕事をしていなかったり、もの凄い自分は出来るような大きな口を叩くが、仕事が出来なかったり、文にすると「何だ、そんな事か」となってしまうような事でも、現場で共に働くとボディーブローのように効いて来る。今の施設は、前の施設に比べて、こう言うイライラが少ないが、ない訳ではないのだ。一人夜勤では、今述べたようなストレスがない分、楽なのだ。

朝、早番がくる。その時点で一人夜勤は終わる。マイワールドが終わる時、他のスタッフと距離を測らなくてはならない別の雑用が生まれるのだ。早番が来る時間までに、どこまで業務を進ませていれば良いのか?それは形がない。どこまで終わって、どこから業務加担してもらったら良いのかは、その日に夜勤にはいるスタッフに任される。自分は、他のスタッフに負い目を作りたくないので、出来る限り自分が行う。出来るならば、早番の業務の分も進めておきたい。それは、相手を信じていないわけではなく、さっき述べた数人の苦手なタイプの人種に対する自己防衛なのだ。

介護の仕事はチームケアだが、信じる物は自分なのだ。昨日、他のスタッフが夕刊を取りに行ってくれると発したが、以前甘えた時に持って来てもらえなかったことがあった。自分が行けたのに、相手の善意に甘えた。それが利用者からの罵倒に繋がり、イライラに繋がったことがある為、自分で取りに行くようにしている。頑に自分が取りに行く事を伝えた。善意で言ってくれたスタッフは嫌な顔をしていたが、これが介護の仕事をする上で重要な意思だと思っている。そこから始まり、遅番にシフトされていたスタッフ2名との距離を測る事が、今夜勤の山場だったと思われる。

明けを迎えた今日、そんな自分の考えや、やり方を否定されているような被害妄想が自分を襲うのだった。

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2008-04-01

一夜明けて呟く

昨日ネットで介護福祉士の試験に合格していた感動から一夜明けると、そこには現実が待っていた。花粉によるストレスか、薬からくる副作用かは不明だが、イライラする自分が居る。比較的負荷の少ないシフトだったが、人からもらうストレスを感じる。特に年配の女性の老かいさには悩む。今日はリーダー業務ではなかったが、これらの老かいさに苦労するリーダー業務の男性スタッフを見ると、人ごとではなかった。

女性上位の仕事だと痛感する。
老かいさの中で、中間距離をとる自分も、ある意味凄いと思うが、イライラしたらその距離が一気に崩れ、今までとってきた距離感が全く意味なくなってしまう。介護職.....
思い描いたイメージとは全く別の物だった。今更ながら、大変な職業である。

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2008-03-31

第二十回介護福祉士試験 結果発表

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本日投函予定だが、到着を待たずに試験センターのサイトをチェックした。ワシの受験番号が載っていた。介護福祉士試験に合格することが出来たのだ。ケアマネは不合格だったが、介護福祉士は合格出来た。

2007年度に欲張ってスキルアップを目指した理由は、細木数子の占いだった。国家試験に向いている年だと出ていたために、欲張って受験したのだ。整理して考えてみると、国家資格を受ける橋渡しの年だったのではないかと思う。

まずその年の2月に人事異動があった。異動する事は半年前に告げられていたが、スタッフ不足と何らかの問題で先延ばしにされていた。そう言ったマネージメントに嫌気がさして、異動が決まっているのならば早々に決定してほしい。在籍させるのならば、その決断が欲しい旨を施設長に話をした。答えはどちらとも言えないと言う物だった。その中途半端なマネージメントが嫌で、自ら異動願いを出した。それは体調不良を理由に、負荷の軽減出来るホームに異動したいと言う物だった。

自分の決断が、今の結果につながったと占いは言っている様な気がする。理由は、以前在籍していたホームならば、忙しさとモチベーション低下で、スキルアップのスの字も考えなかっただろうから。ではなぜ異動先でスキルアップを考えたのか?それは、負荷軽減に他ならない。ブランドを飛び越えた異動で、ユニット介護と言う事が体への負荷軽減に繋がったのだ。

何か受けてみようかな?
漠然な思いは、勤続年数を数えさせた。自分よりも勤続年数が少ない人たちが、介護福祉士を当たり前のように受験している。それを考えたら、もう一つ大きな目標を掲げなくては行けないような気がした。そこで先ずは介護支援専門員と言う最終目標に挑戦する事を決意する。その後、介護福祉士を受験しようと、同じ年度に二つのスキルアップの目標を掲げた。

2007年の夏ぐらいからスクーリングに通い、ケアマネの勉強を始める。働きながらの勉強は、それは大変だった。しかし、自分一人がが頑張ったのではないと思っている。勉強する環境を与えてくれたのは、共に生活する相方と、フロアリーダーのバックアップがあったからだと思っている。勉強する為に、無謀な有休消化を許可し、実行してくれたフロアリーダーと、「勉強してきな」と、快く図書館へ送り出してくれた相方に、心から感謝している。他にも、たくさんの人に迷惑をかけた。全ての人たち、全ての物たちに感謝している。結果は、二つのうちの一つを達成できた訳だが、介護福祉士取得でケアマネ受験にも有利になってきた。それは、免除科目が発生するからである。あえて占いを持ち出すとすれば、2007年度に勉強を始めた事が、不合格だった試験にも有利に働いて来ると言う暗示だったと解釈出来るのでは?と言う事だろうか?

相方に自分の合格を伝え、試験センターのURLを添付したメールを送る。相方のReコールで、お互いの合格を確認し合う。自分の合格も嬉しかったが、自分の大切な人との受験で、二人とも合格だった事に何とも言えない嬉しさを実感するのだった。

今はただ、合格に酔いしれ、何も考えたくないのである。

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tag : 介護福祉 国家資格 第20回介護福祉士試験

2008-03-09

第二十回 実技試験模範回答

模範解答が出ていた。釧根のサイトから抜粋させて頂いた。
http://happytown.orahoo.com/senkonkaigo/

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模範解答
1、目線、目の高さをあわせ挨拶する。
2、体調不良であることを確認し、部屋で食事を取ることを確認する。
3、一部介助で起き上がってもらう。
  ?左側臥位の状態で、左手で右腕(麻痺側)を胸の前に持ってきてもらう。
  ?足をベッドの端にずらしてもらう。
  ?左肘、左手首の順でついてもらい、上体を起こしながら足を下ろす。(介助者は起き上がる上体を支える。足が下ろせないときは介助する。
  ?左手を体の側についてもらい、着座姿勢を整える。
4、体調、排泄の確認。
5、一部介助で立ち上がってもらう。
  ・立ち上がった後の体調の確認。
  ・立位が安定してるか確認。
6、椅子まで介助歩行する。
  ・介助者は麻痺側の少し後方につく。
7、椅子に座ってもらう。
  ・椅子に座った時にテーブルが遠かった場合。
   ?テーブルに左手をつき立ってもらい、テーブルのギリギリの所まで進んでもらう。立った状態で、介助者が軽く椅子を押し込むようにして、ゆっくりと座ってもらう。
   ?テーブルの上に物が載っていない状態であれば、着座姿勢を確認した後、テーブルを動かす。
   ?最初から椅子には向かわず、テーブルのギリギリまで進んでもらい、テーブルに左手をついてもらい、介助者が軽く椅子を押し込むようにして、ゆっくりと座ってもらう。
8、着座姿勢を確認し、左手を使って右手をテーブルの上に乗せてもらう。
9、お絞りで左手を拭き、お絞りを渡して右手を拭いてもらう。
10、飲み物(緑茶かほうじ茶)を選んでもらう。
  ・「はい」「うなずく」のみとあるので、「どちらにしますか?」と言う問いかけよりも「緑茶とほうじ茶があります。緑茶にしますか?ほうじ茶にしますか?」と聞く。
11、選んでもらった飲み物を左前方に置き、勧める。
12、終了の挨拶をし、終了する。

「椅子に座った状態で椅子を押す」と云うのは、途中で止められなかったのであれば危険行為とみなさないのかも知れませんが、危険行為に繋がるものであり、避けたほうがいいと思います。

今回の問題は、シンプルすぎて深読みしたくなりますね。
もしかしたら我々が見落としているポイントがあるのかもしれませんが、我々は試験官ではないのでこの辺りが限界です。

毎回言っていますが、この模範解答の通りにやらなければ不合格になるなんてことはありません。あくまでも模範解答は模範解答であり、正解ではないのです。介護の方法はひとつではなく、それこそ介護をする人、される人によって千差万別。色々な方法があるんですから。


やはり、
1+1=2ではないようだ。
今はただ、結果を待つのみである。

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tag : 模範解答

2008-03-03

実技試験から一夜明けて

初めて実技試験を受けて、相当覚醒していたと思われ、昨日は眠れなかった。頭の中で色々なストーリーが交錯し、熱い気持ちがこみ上げていた。試験を振り返り、反省や自画自賛をくり返す。

何事もなかったかの様に、毎日はやって来る。昨日の試験が嘘の様に思えて来るくらい、日常は変わりなかった。それが幸せだと感じるが、昨日の興奮がまだ続いているようだった。いつもよりも多弁になり、いつもよりも他動だ。piccoloさんがいれば誘導してきてくれるよ。その言葉通りバリバリ動いた。

何を言いたいか解らないまま、今日の日記は終わって行くのである。

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2008-03-02

介護福祉士 実技試験終了

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実技試験が終了した。
取りあえず2007年度のスキルアップは、これで全て終了した。10月に介護支援専門員を受験し、1月に介護福祉士の筆記試験、そして今日介護福祉士の実技試験と、全ての試験が終わった事に心から安堵している。介護職へ転職してから、ぼんやりと掲げた1本の旗。そこに向かってひたすらに努力をしてきた。それが全て終わったのだ。

第二十回介護福祉士実技試験の試験課題は、冒頭の写真。
原文
鈴木 良さん(85歳)は、右半身に麻痺があり、起き上がりや、歩行に一部介助が必要です。

今日は、体調不良のため部屋で食事をする事を望んでいます。ベッドで側臥位になっている鈴木さんをテーブルまで歩行介助し、いすに腰掛けさせ、食事ができる姿勢にして下さい。

その後おしぼりで手を拭き、飲み物を用意してすすめるまでの介助をしてください。

なお、鈴木さんの履物は省略します。
鈴木さんは、「はい」または「うなずく」のみです。

(試験時間は5分間以内です。)

試験前、別室で課題を渡された時には、「ゲッ簡単じゃん」と思った。技術よりも、より丁寧な声かけと介助が重視される事を予想した。およそ10分間、イメージトレーニングする。左手でサイドレールを持ってもらう、左足で右足をすくってもらう。自分の力で体を起こしてもらう。一部介助する。その都度声かけを行い、体調不良からの気分不快の配慮をする。頭の中で何度もシュミレーションする。ここ数週間、介護現場で声かけの訓練をくり返していた。何度も噛みながら、練習をくり返した。
いざ、本番を迎える。

教室に入ると、ベッドに若い女の子が横たわっていた。鈴木さんって女性かぁ...と、シュミレーションの中に性別を考慮していない事を悟った。性別によって声かけが変わってくるが、答えを見いだせず、本番を迎えた。まず、ベッドにサイドレールがない事からパニックが始まる。ずっとサイドレールを持って起き上がってもらおうと思っていたので、これは致命的な現状が押しかかってきたと言って良かった。読んだテキストは全く役に立たなかった。全ては、ここ数年で現場で行ってきた事をやった。声かけのポイントは押さえつつも、サイドレールがないことから頭の後ろに手を入れ、左手でベッドを押しながら起きてもらった。声かけし、腰を前に出して欲しかったが、モデルが動かなかった。きっと正解とは違う形になった為に、アドリブがきかなかったと思われる。そこから、自分の介助方法が少し他の人と違う事がすぐに解った。起き上がった時に、殆ど足は地に着かず不安定な姿勢だった。声かけしても、戸惑うモデルさんに、「もう少し浅く腰掛けてもらいたいので、お手伝いしながら腰を前に出しますね」と言いながら、全介助で浅く座らせた。この声かけ、恥ずかしいぐらいに震えている。緊張する事は予想していたが、頭はクリアーなのに声をコントロール出来ない事が悔しかった。声は震えたが、ゆっくりと喋る事は自分の中での課題をクリアしていた。

麻痺側の足を保護しながら立ってもらい、気分不快がないかの声かけ、するとモデルさんが歩き出してしまう。どっちの足からと言わずに、勝手にテーブルの方へ歩いてしまう。「ん〜」難しいと思うが、モデルさんは答えを知っている事を悟ってしまう。その後、三歩と歩かずにテーブルに着いてしまう。椅子を手で固定し、左手を椅子の背もたれにかけてもらう。左足を軸に腰を椅子に向けて下さいと声かけ。ゆっくり腰をかける。深く座ってもらい、テーブルをモデルさんによせた所で時間になった。

自分の中で三つミスがある。起き上がるときの介助、浅く座らせる介助、歩き出すときの声かけ。この三つ。時間内に全てを終わらせなくても良い事は聞いていたので、それまでに何点とれ、何点減点されていたのか?筆記試験の時には、手応えがあった。しかし実技試験は、全く手応えがない。やはり人間対人間なので、相性もあると思うし、1+1=2ではないテストだと実感している。しかし85歳のモデルさんを、10代後半か、20代前半の若い女の子にさせると言うのはどうかと思う。答えを導いてしまったり、アドリブがきかずに困惑してしまう事に本当に国家試験か?と言う印象を持ってしまった。少なからず、試験に向けて真剣に勉強している。その勉強が、試験をクリアするだけの物の様な気がしてならない。それが試験なのだと言われればそれまでなのだが。

勿論合格したい。しかし、これで合格だったら、「これで良いのか介護福祉士」と言う印象をぬぐい去れない。施設で働いていると、やはり課題を最後まで時間内にクリア出来ないのは致命的だと思う。実は施設こそ時間で動いている大前提の中、こう言った利用者本位の理想を掲げられるので、色々な問題が発生すると思う。時間内に、ある程度の業務をクリアしていないと大問題だ。少なくとも我々は時間に左右される。利用者本位、大いに結構だと思う。しかし、どこかで線引きをしないと謝った解釈が生まれてしまう。この試験で、何が問われているのかよく解る。しかし、それで良いのだろうか?試験で緊張しながらも、何かを変えて行かねば日本の介護は良くならないと感じた。そして、試験のやり方自体にも問題があるように感じる。これならば、講習を受けて実技免除になった方が意義を感じる。なぜ利用者本位か?その介助がどう言う意味があるか等、時間をかけて勉強した方がベターだと。利用者本位の介護士を生み出そうとしている国家が、流れ作業で試験をしている。とても滑稽な風景を目の当りにした。

自分は午前の試験時間だった。なんと拘束時間が長い事か。八時四十分に受付終了し、試験が始まるのが九時過ぎから、およそお昼まで。一体何人の人がこの時間に試験を受けているのか解らないが、たった五分の試験だ。始まるまでに数時間、終わってからも数時間、拘束しすぎだ。五分の試験に、一時半まで拘束するのは行き過ぎだと思う。エコノミー症候群を懸念せざるを得ない。午後の受験者が、試験終了と共に帰宅出来た事を聞くと、午前の受験者の方が負荷がかかっている気がする。

色々書いたが、とにかく終わった事に安堵している。そして、自分だけが闘ったのではない事を実感ししている。沢山の人達を巻き込んで、今日の日を迎えた事を申し訳なく思う。まわりの人のバックアップに感謝しつつ、自分を審査してくれた方、モデルをしてくれたボランティアの方、全ての人、物に感謝したい。そして明日からの仕事に気持ちを切り替えて行く自分が居るのだった。

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2008-02-16

第二十回介護福祉士筆記試験結果

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介護福祉士の筆記試験の結果が届いた。一応合格だったが、実技試験の受験票に合格しましたので通知しますと記されているだけだった。ケアマネのときみたいに、どのジャンルが何点だったとかは書いていなかった。それはさて置き、合格したと言う事は、次へのステップへ進まなくてはならないと言う事だ。次は実技試験。この実技に受かって、初めて介護福祉士になれる。ここまで来たら、合格したいと思う自分がいる。

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2008-02-12

介護福祉士 実技試験対策



筆記試験の合格発表がせまってきた。万が一合格していた時の事を考えて、実技試験に向けて気持ちを入れ替えて行こうと思う。声かけが第一というが、実際に現場でやっている事が癖になっているはずである。その癖が出たら終わるな。と言うのは、毎日施設で働いていたら、声かけを怠る場面が多々あるからだ。今から声かけする癖をつける。これが課題だ。って、普段から心がけなきゃならない話だが、実際にここまで丁寧に声かけしている職員はいない。その施設が駄目施設かは、別問題なのだ。あくまで試験だ。基本に忠実に、しっかりと体に覚え込ませて行きたい。

しかし今年の筆記試験のボーダーラインは何点ぐらいになるのだろうか?意外に点数がとれていて今更驚いている。こうなったら合格したいと言う欲が出てしまっている。欲を捨て、合格発表を待つ。

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2008-02-02

ノロウイルス蔓延か?

夜勤明け、そして公休明けで出勤するとホームがジアノック(塩素系の消毒液)臭かった。他のフロアにノロウイルスが蔓延している事から、自分のフロアにも飛び火したのがすぐに分かった。申し送りを読み、聞くと、今日で三日目。症状もノロとは違うねと、あと1日症状が現れなければノロ対応解禁と言う段階だった。今日一日、何事もない事を祈る自分がいた。

コンディションは最悪で、無理矢理テンションを上げていた物の、一日の業務形態を組み立てるリーダー的業務にシフトされていた為、自分の死角から問題が降り掛かって来る。特にノロ対応等、普段と異なる業務をすると、必ず混乱が生じる。混乱の中、勝手な動きをされるとそれが問題となって自分に降り掛かって来るのだ。

おやつの時間に、急に嘔吐する利用者が出た。自分の目の前で、「オウッオウッ」と多量に吐瀉物を吐き出している。全て吐き出させてから居室へ誘導。ナースへ連絡し、嘔吐したダイニングを処理するスタッフと、利用者対応するスタッフに分かれた。自分は嘔吐した利用者を居室へ連れて行き、手洗いし着衣を交換する。その場にナースが駆けつけてくれた。医療的処置と言うよりも、吐瀉物の処理と、ジアノック消毒が主だ。利用者は、嘔吐が済んでスッキリしている。熱もなく、比較的落ち着いた状態であった。ベッドに臥床してもらい、ナースとスタッフで、車椅子、居室の床、家具、トイレ、ありとあらゆる物のジアノック消毒に追われた。汚れた衣服は、我がホームのルールとして袋に二重にして縛り、居室内においておく事を指示された。居室外に持ち出さないと言うルールだ。ノロウイルス対応チャプター01が済んだと言う所。そして、チャプター02、03と進む中で、また混乱が生じて行くのである。

認知症があると、こう言う状態を把握する事が出来ないので対応が困難になる。ノロに感染している事を説明しても理解出来ない事から、沢山の問題が起こる。まず居室から出てきてしまう。徘徊があった場合等最悪だ。今後、蔓延しない事を祈る。そして、吐瀉物まみれの手に襲われた自分が感染していない事を願う。潜伏期間は三日間。この間に、自分に下痢、嘔吐、発熱の症状が出るか否か?今はただ、利用者の安否と、蔓延していない事を祈る自分がいる.....

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2008-01-28

介護福祉士試験から一夜明けて

同じ試験に挑んだ皆様、お疲れ様でした。試験が終わって、なんとなく体が軽くなった気がします。

国家試験の雰囲気を目に焼き付けてきました。当日はお天気に恵まれたものの、とても寒い日でした。これから試験だと言うのに、会場に向かう受験生の波を見て、AppleのCMを思い出しました。リドリースコット監督が担当したSFチックなCM。

凄くダークな印象を抱きながら会場に向かいました。もの凄い人数が無表情に歩いている事から感じた事なのですが、この暗闇を通過するからスキルアップなのかなと、人事のように感じながら会場に到着。大学の1室でしたが、暖房がかかってなく、とても寒い教室でした。

午前の試験は難しいと聞かされていた通り、勉強してなくては解けない問題と言う印象を持った。去年ケアマネの受験勉強をしている事もあり、それがベースとなって解けた問題もあった気がする。

午後は、介護現場に携る物ならば解きやすい問題が多いと聞いていた。これも聞いていた通りだったように感じる。しかし勉強不足から、完全に問題を理解しないまま運に任せる場面もあり、自分のスキルアップはまだまだ遠いと感じる。

一日経って、冷静に今回の試験を振り返ってみるが、やはり1人で闘ったのではないと思う。沢山の人を巻き込んで、この日を迎えたのだと。ケアマネの試験と同様に、巻き込んでしまった全ての人達に感謝したい。現場で、勉強出来る環境をと、業務シフトを組んでくれたフロアリーダー、書類を書いてくれた会社、的確にアドバイスしてくれる相方、励ましてくれた友、時に問題を出し合った戦友、自分がこの試験を受けるにあたり、影響を与えてしまった方、影響された全ての人達に感謝したい。支えてくれたと言うとオーバーになるかもしれないが、生きて行く事とは、改めて人のお世話になる事だと、とても謙虚な気持ちでいっぱいだ。自分で決めた道だが、1人で歩いたのではない。沢山のサポートがあったから、その道を渡れたと。一日経って思う事、それは自分に影響を与えてくれた全ての人への感謝だった。

今こうして試験が終えられるのは、あなた方のお陰です。心をこめて『ありがとう』と言いたい。

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2007-12-14

新しいフロアリーダー

この夜勤、新しいフロアリーダーがOJTについた。そもそも、フロアリーダーになるくらいの人だ。自分なんかが業務を教える立場でない。一体何を教えたら良いのだ?ずっとストレスを感じたが、やっぱり出来る人はいる物で、一発で凄い人だと言う事が分かった。我が社の他ブランドでフロアリーダーを経験し、その前は特別養護老人施設で働いていたそうだ。自分は今の会社での有料老人ホームの経験しかないのだが、特養出身の人の動きはとても勉強になる。しばらく忘れていた刺激だったが、出来る人はどんな環境でも出来ると言う事を改めて見せられた気がした。

人嫌いの自分が新しいフロアリーダーとの夜勤業務で、その距離感が怖くなかった理由に、相手が距離をとってくれたと言う事があるだろう。自分のパーソナルスペースを見抜き、その中に入って来る事をあえてしないでくれた事が分かった。その一例を見ても、瞬時にパーソナルスペースを見抜ける事が凄いし、フロアにいるスタッフそれぞれの立場を理解し、きちんと考えながらナース報告したり、申し送りが出来る事に尊敬してしまう。仕事の早さもそうだ。自分が一人オムツ交換している間に1.5人のオムツ交換が済んでいる。一回のラウンドに15名の利用者しか見ないが、自分が三人を見る頃には、笑顔で回収して来た尿とりパッドを処理していたりした。仕事をこなせばこなすほど、その人の懐の深さを実感するのだった。

これだけの人材がいる事に、世の中は広いんだと感じた。もっと目線を広くもてば、日本の中にはもっと沢山の良い人材がいるのではないかと思って来た。交代し、新天地へ向かうフロアリーダーも凄い人だったけど、久しぶりに人間を尊敬した。このホームへ異動してきて、そう言う発見があった事は、自分の中でプラス材料だと感じる。

利用者の人数やADL、異動前のホームに比べると体力的にも、精神的にも楽になったと感じた半年間だったけど、初めて負けたくねえと言う気持ちが生じた。これを多分『意地』と言うのだと思うが、夜勤明けである朝食対応で、OJTだらけの何をして良いか分からない状況が生じる中、淡々と業務をこなすフロアリーダーを見て、マイペースを貫けていない自分を感じた。これは、良い刺激ととっていいと思った。久しぶりにこの人に負けたくないと思った。勝ち負けで仕事をするものではないが、今日は惨敗だった気持ちは隠せない。それは半年以上今のホームにいる自分よりも、数週間しか経っていない現フロアリーダーの方が利用者の状態、その日の業務の回り具合、全てを把握し業務をこなせる姿を見て、自分の不甲斐なさを痛感したからだろう。人の事を鬱陶しいと感じる暇があったら、少しでも利用者を見ろと、自分を戒めるのだった。

これからの仕事、なかなか面白そうである。

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2007-12-11

他人事でない

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200712/2007121100696

施設長のせいだろうか?
とにかく悲しい事故だと思う。罪のない人が死んで行く。運転手の他に、介護職員を同乗させるのは当たり前の対応だが、なぜそれをしないのか。しなかったのか、出来なかったのか、こうなった以上出来なかったでは済まされないと叩かれるだろうが、これは施設の問題ではなく日本の問題だろう。

ギリギリの人員配置で仕事をさせていると、こう言う事故が起こる。事故が起これば、起こした人が叩かれて終わってしまう。それじゃあ何の解決にもなっていない。

施設長だって、同乗する職員を手配したかっただろう。人が足りないのが現状だと思う。こうして公になった事故が罰せられるだろうが、同等のケースは何件もあるはずだ。その日の職員は、何人体制だったのか、実際に一対三の人員配置がされているのか、自分のいる職場だって日によっては一対五だったり、時間帯によっては一対23と言う状況もある。事故が起こってからでは遅い。

この様な事故は、自分の身に降り掛かる可能性はゼロではないはず。ひと事ではないニュースに、何をすべきか考える。

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2007-12-10

ケアマネ合格発表

書留ハガキが送られてきた。そこには、ケアマネの合否が記載されていると書かれていた。結果は予想通りの不合格。自分で答え合わせした点数だったので、マークシートミス等はなかったと思われる。来年また頑張ろうねー

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2007-12-01

介護六周年

介護職に転職して、丸六年が経った。ん〜我ながら良く続いたと思う。思えば辛い事の方が多かった。よくやりがいがある仕事だと言われるが、そんなことを言われても全く届かないくらい精神的にやられる。究極のサービス業と自分は思っている。殴られ、蹴られ、引っ掻かれながら、笑顔でその方々のペースに合わせる事がどれだけ魂削られるか。思ってみれば、認知症対応が多いホームを転々とした記憶。最後に行き着いたのが、我が社最高ブランドで、その支店の認知正フロアだった。イッツ・ア・スモール・ワールドにのせながら、この六年を振り返ってみたい。

2001年の12月1日。
記念すべき介護職のスタートだった。まだまだ熱い気持ちを持ちながら、その独特の空気にやられないよう、自分のペースで頑張っていた。それから2ヶ月半で、新規ホームに異動を命じられた。一番最初の異動である。そこが重度の利用者の巣窟で、重度の鬱病、重度の認知症、重度のパーキンソン、重度の糖尿病、大腿部骨折の徘徊者、数えたらきりがない重度な利用者に、とても要求度の高い家族。たった25名満床の小規模ホームなのに、介護六年の中で最も苦労するホームとなる。

毎日起こる救急対応。それだけ医療への依存度が高い利用者が多かったと言う事なのだが、毎日救急車が来る事で、周りの住民から「カルト宗教みたいなことをしてるのでは?」と不審に思われる。そこに重度の認知症利用者の対応で業務が回らなくなり、老人ホームとして全く機能していなかった。それだけ医療依存度が高いホームなのに、在宅ホームである事から看護師すら配置されてなかった事も問題であろう。

「お前達じゃ駄目だ」
烙印を押され、他ホームに異動になった。三ヶ月と言う期限付きだったが、この六年間で一番屈辱だった事は間違えない。手を抜いている訳じゃない。なのに、何もかもが空回りしていた。そこに来て、アルツハイマーを同時期に三名受け入れると言う事でパンクしたのだった。まあ自分を含め初心者が多かったのは大問題だった。しかしマネージメントとしては、それだけ重度利用者が多いホームに施設長も看護師も置かず、初心者の介護スタッフばかりを集めていたのも問題なのだ。

屈辱の数ヶ月を他ホームで過ごす。三ヶ月と言う期限だったが、会社の都合で2ヶ月になった。元のホームに戻るとき、サブリーダーになって欲しいと打診されそうになったので、最初に「お断りします」と釘を刺した。

三度目の異動は、2ヶ月研修して帰って来たと言う感じだ。それでも支店を異動した事は変わりない。この短期間で三度の異動は有り得ない数だろう。何事もない事を祈りながら、毎日を過ごす。問題は見えない所からやって来た。

それはヒゼンダニがもたらす疾病で、『疥癬』と言う病気だ。それが蔓延した。あっちこっちに飛び火し、二進も三進もいかなくなった。そこに重度の糖尿病利用者がノルウェー疥癬を病院から貰って来て、またもやパンク寸前。何もかもが空回りなまま、運命の2003年を迎える。

それだけ問題が多いと言う事は、何かバックアップが必要なのではないか?と言う結論に至ったようだ。施設長が配置された。嘘のように問題が改善されて行った。しかし、家族のそれまでの鬱憤が、その施設長1人の肩に乗っかった。潰れるのにそう時間はかからなかった。ある日突然、施設長は来なくなった。沢山のお金と共に。

ここで、自分の介護への思いは途切れたと認識している。たった2年で、自分の熱い想いは途切れたのだ。それだけ辛かったし大変だった。それ以上に、職員の入れ代わりの激しさが辛かったのだ。自分も大変だった。でも、利用者に顔を覚えられ、フレンドリーな関係でいられる事が新しく入って来たスタッフには憎らしく思えるらしく、苦労もしないで利用者と仲がいいのはけしからん的な風潮が見えだした。新体制と旧体制で派閥が生まれるようになる。新しい風は、とてもやる気と熱い想いに漲っているが、旧体制は燃え尽きている為に、この熱さが眩しくて仕方がない。その食い違いは自分をとことん追いつめた。自分が燃え尽きたタイミングと、新しい風が入って来たタイミングがこの時なのである。施設長が消え、明日から沖縄に行くからと夜勤明けの申し送りで新しい風と挨拶を交わした。それが、新と旧の入れ替わるタイミングだった。それが初沖縄だった。

沖縄に触れた瞬間、今までの辛さが見事に吸収されて行くのを感じた。随分ロングステイだったが、帰りの那覇空港に向かう途中、うちなーんちゅの車に追突される。ブレーキが利かなかったそうだ。今思うと、これがテーゲーと言う奴だと思うが、その時は全く意味が解らなかった。ブレーキが利かないで済む訳ないだろうと。それでも、沖縄の虫に刺された自分はここから沖縄病を発症する。本土に帰るが、2週間の安静を言い渡され、新しい風と、旧体制のワシの溝は深まった。

復帰しても頸椎ねんざで身体介護は出来ず、みんなからは白い目。なんでクビにならないのくらいの目線が向けられた。その次の年、スタッフ間のいざこざと、利用者の訴えが受容出来ずになって、『胃潰瘍』で入院する。またもや長期で仕事を休むハメになる。新しい風と、ワシの溝は深まるばかり。そこに来て祖母の死。またもや長期休暇。もう死んでくれと言わんばかりの目線。しかし、利用者の信用はワシに向けられると、新しい風はワシをイビルようになる。

女の園だなぁと感じたのはこの時だった。今まで男社会で働いていた。それこそ変な発言でもしよう物ならセクハラで訴えられてしまう様な世界。しかしこの時に、女のやらしさみたいな物を痛感させられた。目障りな物はつぶすと言わんばかりの毎日の嫌がらせ。男社会では、こう言う陰険な事はなかった。でも自分は、虐められてメソメソするタイプではない。一見そう言うタイプに見れがちだが、意外と内面は怖い人だったりする。ある日あまりに理不尽な訴えが多い事に思いきりキレてみた。2003年の沖縄前の申し送りで挨拶を交わした新しい風にだ。

新しい風は、サブリーダーに出世していた。権力を持たせた途端に自分をいびるようになった。面白いぐらい分かりやすかった。きっとこのホームに自分が居たらよくない結果を生むと判断し、この会社で初めて異動願いを出す。

そこからまた新しいホームに異動になったが、ここが今まで一番スタッフ間が悪かったホームだ。表と裏が全く解らない。表ではみんな仲良さそうにしているのに、裏に行くとお互いの悪口を吐いている。最初は恐ろしかったが、しばらくすると自分も同じ事をしていた。特養派と、ホーム派に派閥が出来ていたのだが、問題はホーム派にあったと思う。そんな問題もさることながら、ホームリーダーが変わってから新しい負の遺産を作る事になる。およそ2年の歳月かけて、今では修復不可能のホームになっている。しかし会社は全くその事に気がついていないし、気がついても蓋をしてしまっている。ここで2年頑張ったんだ。今改めてそう思う。よくやれたもんだ。これが4回目の異動である。

ある日異動を言い渡された。五回目の異動になる。それが冒頭に書いた我が社最高のブランドの認知正フロアへの移動。ここで出会ったフロアリーダーが、一番の驚きかもしれない。なぜならば、ここまで現場を分かっているリーダークラスの人を初めて見たからだ。それを宝に思う。そして自分は介護転職六周年を迎え、このフロアリーダーは、新天地へ異動となる。既に新しいフロアリーダーと被って業務の引き継ぎをしているようだ。そんな空気が、「ああまた、人が入れ替わって行くな」と、乾燥している中、加湿器が回っている様な感覚に陥った。そして12月に入り、七年目に突入して行く。

サラッと書いたが、それはもう辛い事が多かった六年だった。楽しい事もあったと言いたいが、やっぱり正直に辛かったと記しておきたい。

沢山の思いを胸に、今日もホッピーで一杯やるのだった。
しかし、つまみで買って来た砂肝の胡麻のピリ辛和えが、白髪ネギでなく普通のネギだった。それが悲しい六周年だった。
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piccolo

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genre : 福祉・ボランティア

2007-05-12

夜勤明け

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憂鬱な明けだった。落下薬したかもしれないと言う思いが、そう思わせていたのだが、
その憂鬱は一日中消えなかった。きっとヒヤリハットだろうと思われる。

送ろう、送ろう、申し送ろうと思っていたのだが、送り忘れたが為の一大事。
送れば問題は小さな物だったはずなのに、第三者が落下薬事故を発見した時に、
インシデントとして扱われる。そして、事故を起こした当事者が責められ、
罰せられて、事故解決となる。何かが間違っている。

話は変わるが、朝方結構忙しい時間に、ナース二人とワシ3人で喋っていたら、
モーニングケアから誘導の仕事が相当ヤバくなった。有り得ない時間まで喋っていた事は、
その時点で解っていたが、巻けば何とかなると思っていた。しかしそんな時に限って、
便失禁の嵐。オムツを開ければ便、便、便。「あ〜間に合わない....」

そんな焦りからか、フロアリーダーが出勤して来ると言うプレッシャーからか、
全員の配薬を終わらせなくてはイケない衝動に駆られた。
以前のホームに比べたら屁でもない人数だが、そう言う過信は禁物である。
この薬さえ終われば....
その思いが、落下薬の可能性のある利用者の薬も配薬する判断に至った。
延滞配薬者のボックスに入れれば良いだけの事だった。しかし、
配薬してしまった。

見事に口から一粒転げ落ち、コロコロと言う薬が転がる嫌な音がした。
しかし、その人の口元から目線を放せない。口から出してしまう人だから、
飲み込むまで見届けなければならない。飲み込みを確認し、落ちた薬を探したが、
探しているうちに時間だけがどんどん過ぎて行く。次の仕事が嵐のようにやってくる。
介護職は、一つの事にかかり切りになれない。
状況、状況で、動いて行かなければならない。
探せなかった事を申し送れなかった事が、ワシの中で失望感を生み出している。
落下薬は仕方ない事として、それを繋いで行く業務を怠った事が、
経験者として恥ずかしいことだ。

自己嫌悪いっぱいの気持ちで、明けを過ごしている。

2007-03-14

給料が下がる?〜怒り〜

某巨大掲示板サイトや、風の噂で、四月から給料面が見直されると囁かれて来た。しかし、基本給は14万円になり、賞与が0.7ヶ月に下がるそうだ。

うちの会社は、テレビCM等でもおなじみの会社だが、底辺には全くもって温かくない会社だ。それが当たり前なのか、そうでないのかは、実際の所難しくて解らない。でも底辺に属している人間として感じる事は、信じられないことばかりだ。

元々介護事業の一つのブランドとして成り立っていたが、2001年に前社長がその大企業に株を売った事で、その傘下になった。2003年に大企業の中の一つのブランドとして、本格的に始動し始めるが、この辺りからガチガチと言うか、機械的に物事が処理されるようになって来た。

自分が入社した当時、基本給は16万5千円一律だった。昇級は1年に一回一万円ずつ基本給が上がると提示されていた。基本給は安いが、残業代が出るので、手取りは20万円強になるとも言われていた。その次の年、会社の組織が変わったとかで、残業代が付かなくなり、昇級は評価性になった。ワシは評価の対象だから基本給が上がると告げられた。提示された額は五千円アップ。「はっ?」って感じである。今まで一万円アップと言われていた昇級が、評価の対象だから五千円アップ?アップなのかダウンなのか訳が解らなかった。しかも、残業せざるを得ないシフトなのに、全く残業が付かなかった。40時間以上のサービス残業である。

もう一つは夜勤手当についてだ。2002年頃だっただろうか、ホームミーティングの題目で、夜勤の『深夜残業』についてと言うのがあった。以前の『夜勤手当』は、3850円だった。夜勤一回につき3850円の手当がつく。解りやすい話だ。そのミーティングで話された『深夜残業』は、同じ夜勤形態で、給料面が変わるとだけ告げられた。基本給×何何×何何=『深夜残業』みたいな計算式を見せられ、これからは手当じゃなく、残業代だと言う。「いくらになるのか?」の質問に、基本給がそれぞれ違うので、今ここでいくらになるかは提示出来ないとミーティングで説明があった。実際に給料明細を見ると、1750円だった。同じ仕事をして、3850円から1750円にダウンしてる。2002年のこの当時、詐欺にあった様な気持ちで居た。

そんなこんなで、入社して6年目になる。一番手取りが良かったのは、入社してからの3ヶ月間で、20万円〜22万円。基本給は16万5千円でも、手取りは良かった。六年経った今、基本給は少し上がったが、手取りで17万円〜18万円。自分の考えの中で、給料は上がって行く物で、下がる物ではないと思っていた。しかし、現実下がっている。何か問題を起こして、減給されたのなら話は解る。しかし、在り来たりな「君に期待してるから」みたいなことを言われて給料下がったんじゃ、『期待』の意味が解らない。

来月、給料が上がると噂されて来た。社内報で、離職率が多い事を真っ向から受け止めると発信された答えがあると思われて来た。しかし、まだ公にされてはいないが基本給と賞与ダウンらしい。手当をアップさせて、年収はトントンにする的な事だそうな。怒りと言うか、あきれ果ててしまう。だったら『期待』とか、『アップ』するとか、『離職』を考えるとか、言わなきゃいいのに。

四月から基本給は14万円になり、賞与が0.7ヶ月になるそうだ。給料アップと噂されて来たが、四つの介護ブランドの中の、低い給料形態に合わせて来たって訳だ。これをどうやって言い訳して行くのか?又とってつけた様な言い分をミーティングで発信して来るのだろう。

「怒り」?「悲しみ」?いや、やっぱり「呆れ」だろう。六年底辺に居続けた自分が痛感してる事は、この会社に長く居ても、未来はないと言う事だ。

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genre : ブログ

2007-02-20

前途多難

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勉強を始めたと言っても、何がなんだかって感じ。こりゃ、先が思いやられる。こんな事ではケアマネに合格出来る訳がない。どこか甘い自分がいる。本気でケアマネとりたいんだろうか?と自分で不思議になってしまう。しかし焦りを捨て、コツコツと積み上げて行く事が大事だと思われ。

有料老人ホームで働き出して六年目。参考書を開くと、全くもって介護の事等解っていなかった事に気がつく。あの日、あの時、介護のプロになると決心した日が懐かしい。

同じ会社内で、働くホームが変わった事や、色々な人との出会いで、資格所得を決意したが、本当にケアマネをとりたいんだろうかと言うのが、正直な所なのだ。

theme : 介護
genre : 福祉・ボランティア

2007-02-15

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介護職に転職して六年目。いよいよスキルアップの準備を始めた。介護福祉士を受ける資格が発生した時には、病気での入院や事故の影響で勉強する気すら起きなかった。しかし環境が変わった事で、色々な人や物から影響を受け、やってみようと思うようになった。

何も考えず、五年経ったのだからケアマネだろうと言う選択。もう一つは、五年経っても20万円にも満たない給料に、危機感を覚えている事。精神的にも肉体的にもハードな老人介護と言う仕事をして、残る物がやりがいだけでは生活していけないのである。スキルアップが唯一の報酬アップの方法と言う事もあり、一気に高い所へのスキルアップを決めた。

これから少しずつ勉強するが、子供の頃から勉強が苦手だった自分が、結果を出せるのか出せないのか、ここに記録して行こうかと思うのだった。

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