今日もまた呟き

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納骨



安らかにお眠り下さい。piccoloです。

本日2018年3月10日に納骨の儀を執り行います。三年半の闘病の末に、昨年12月に他界した母の遺骨が、ここ【練馬ねむの木ガーデン】に埋葬されるのです。



樹木葬ビハーラと言う商品を買いました。上の写真の一角を購入したのです。お墓は買いませんでした。花に囲まれて眠って欲しい。そんな願いと、経済的な理由で樹木葬を選択しました。33年この場所で眠り、その後は陽だまりと言う場所に永代供養されます。



33年後は、この地下の土にかえります。骨を完全に土に返す訳ではなく、ここに保管され合祀されると説明を受け、これなら安心だと今時のお墓ビジネスに賛同したのでした。



母上様、安らかにお眠り下さい。

piccolo
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緩和病棟19



母が他界しました。piccoloです。

2017年12月11日
20時05分
永眠。

ICから2日後でした。午後4時前に病院から連絡があり、睡眠時間が長くなっている事、食事が取れていない事、脈が触れなくなっている事から、間も無く旅立ちではないか。来られるならば病院に来て欲しいと連絡がありました。偶然早番だったので、早退する事なく会社を出られました。病室に着くと、母はちょうど看護師の巡回を受けているところでした。しかし、目に覇気はなく「ああ、もうすぐだなと」と、直感しました。水が飲みたいと訴えたそうで、ギャッチアップして吸い飲みで飲ませて貰うところでした。しかし呼吸苦が酷く、仕方なくギャッチダウンします。看護師に廊下に呼び出され、状態の話を聞きました。「今までお話も出来て、水が飲みたいと仰っていました。でも、息子さんが来られた時には水が飲めない状態だったと思います。このままお水を飲んだら誤嚥してしまいますので、お水はやめますね。お母様の近くに寄り添って下さい」廊下から戻った時には、呼吸が浅くなっていました。自分の思考は驚くほど冷静で、その時を客観視する事が出来ました。



まだ息のあるうちに手を握り、話をする事が出来ました。孫たちも病院に向かってる事、孫たちはまた風邪をひいて鼻水を垂らしている事、息子君は保育園で問題児になってる事を話しました。「ハッ」と呼吸をしたかと思えば、また浅くなっていきます。孫が来るまで待つと言ったような気がします。苦しかったら頑張らなくて良いんだよ。もう十分に頑張ったから楽になって下さい。そう声かけをして数分、母の呼吸が止まりました。17時27分です。

嫁、孫の到着を待ち、医師から死亡診断を頂いたのは、20時05分の事でした。三年半の闘病生活に終止符を打った母、風呂には最後まで介助を拒んだそうです。この頑固な所が大嫌いなのですが、拒み続け通した事をリスペクトします。ロックな人でした。ワシには真似出来ません。

死亡診断が出ておよそ2時間くらいの時間をかけてエンゼルケアをしてくれました。お風呂にも入れてくれ、洗体、洗髪も行ってくれたそうです。そのお手伝いを奥さんも行う事が出来ました。貴重な経験をさせて頂いたと話していました。

そこからは事務的な手続きが続きます。葬儀屋の手配、病室の片付け、分かっていましたが余韻に浸る暇もなく片付けに追われます。大した荷物は無いものの、今日中に部屋を開けろと言う病院のスタンスに、緩和病棟だからなのか、大病院だからなのか、少し憤りを感じましたが、うちの母親も誰かが同じように急いで部屋を開けてくれたから入院する事が出来た訳で、憤る筋合いはないなと自分を慰めました。

逆算をして、22時半に葬儀屋が来るようにして下さいと言われた通りエンゼルケアは終了しその少し前に葬儀屋と話をしました。式の段取り、火葬の日時、段取りよく話は進み、ストレッチャーに乗せられる母。斎場の安置室に運ばれるのを見守るのでした。

家に着いたのは23時半ごろ。義理の父と母が子供達を先に連れて帰り寝かしつけてくれていました。爺と婆の協力なしに今の子の成長は無かったと改めて感謝するのです。

こうして慌ただしく母の臨終に立ち会った訳ですが、改めて苦しみなく逝ってくれた事に安堵するワシがいます。苦しみがない訳では無いでしょうが、痛みでのたうち回るのは見たくなかったので息子の願いを聞いてくれた母に感謝です。結果親子水入らずな看取りでした。親子の溝は埋まる事はありませんでしたが、何か一つ区切りがついた気がするのです。

母には、やはりお疲れ様と言いたい。

piccolo

緩和病棟18



いよいよ旅立ちの時。piccoloです。

2ヶ月と言う期間を緩和病棟で過ごして来た母ですが、数日から一週間ほどで旅立ちを迎えそうです。

朝、病院から連絡が入りました。お母様のご様子で至急面談を行いたいと。会社に無理を言って中抜けしてICを受けて来ました。物凄く話の長い先生なのですが、要は葬儀屋を探しておけと言う事でした。それと旅立ちの時の服を持って来て欲しい、その二点が今日のインフォームドコンセントの内容です。まず食事量が低下している事、脈が触れなくなることから、早くて数日後、長くても数週間ではないかと言われました。もちろんハッキリとその期間で死にますとは言われませんが、それぐらいの間に準備をしておいて欲しいと匂わされました。

息子であるワシの覚悟は出来ています。腸閉塞で入院した三年前のあの日に、この時が来る事を。

長男が生まれて浮かれている時に、寝耳に水だった知らせ、その原因が盲腸癌であると聞かされ既に命は長くないんだと。しかし振り返ってみると三年半もの時を生き長らえました。副作用が苦しかった抗がん剤を2年間続け、その命を伸ばしてきた母。結局ホスピスで命を終わらせるならば、抗がん剤治療なんてせずに緩和を探せばよかったのではないか、と言う邪念が自分の中にあります。こうなるのならば、苦しい治療をしないで自分らしく散った方が母の為ではなかったかと。

そう思う反面、三年半と言う月日を孫であるワシの息子君と過ごす事で、彼の記憶に生き続けることが出来るのではないかと言うプラスの考えも浮かぶのです。東京の婆ちゃん、埼玉の婆ちゃん、彼の記憶に東京の婆ちゃんの姿は間違いなく記憶されており、命は尽きても彼の中に東京の婆ちゃんは生き続けるのだと。そして妹にも、婆ちゃんは二人居たんだと語り継ぐ事でしょう。

どちらにしても治療すると選択したのは母です。今の結果は母の選択であった事をリスペクトします。怠さと重さはあるようですが、痛みは無いように感じます。このまま眠るように逝って欲しい。それがワシの願いです。もう十分に頑張ったよ。楽になって良いんだよ。そう思います。

そして結婚し、家族が出来ると、親の死は自分だけの物で無くなる事を痛感します。最後まで支え続けてくれた奥さんに感謝しています。そして奥さんにもその時が訪れる時に、この恩を返さなくてはと思っています。

あと少しです。
ワシは親の死と、どう向き合うのでしょう。

piccolo

緩和病棟17



ちと怠そうでした。piccoloです。

看護師から薬が飲み難くなっているので、皮膚に直接行う麻薬を開始したと説明を貰いました。少しずつ着陸を始めてる旨、説明され改めて戦いには終わりがある事を悟るのです。

珍しく妹ちゃんを連れて行ってもリアクションが薄い母の姿がありました。いつも来客中にはシャンとする母は、今日は調子が悪いのか寝たまま目をつぶっていました。体が重たいのでしょうか。それでも曲がってしまった杖が少し長いのだと、新しい杖を要求して来ます。早速インターネットで手配するワシなのです。

病室では妹ちゃんを床に降ろすわけには行かず、常に抱っこをする事に少しイラつきます。息子君もなかなか言う事を聞いてくれません。お見舞いと言う行為の最中ではありますが、自分の不満を心に隠すのでした。

辛そうな様子だったので、早々に病院を後にしました。まさかこの時には、死期がそこまで近づいているとは夢にも思いませんでした。

piccolo

緩和病棟16



転びました。piccoloです。

仕事中に着信が入りました。9時過ぎの事です。朝の申し送りが終わり、シフトされたスタッフに伝達している最中です。「ちょっと電話に出ても良いですか?」確認して電話に出ます。病院からでした。嫌な予感がします。

「○○病院の☆☆と申します。実はお母様が今朝方…」病院から貰う連絡は緊急の時が多いので気分のいいものではありません。大腸癌が原因で腸閉塞になった時を思い出します。あの時は病気になるとは1ミリも思ってなかったのでビックリしましたが、今は驚きよりも審判を待つような心境です。いよいよかと覚悟しましたが、内容は明け方5時ごろにお母様が転倒されたと言う物でした。怪我もなく、大したことは無さそうな様子でしたが、聞いた瞬間に大腿骨骨折をイメージしました。今回は何事もありませんでしたが、麻薬を開始しているせいか、一点見つめをしている時間が多くなった気がします。これからこういう事が増えて行くかもしれません。

考えてみると同居してから三年半、初めての転倒だったかもしれません。死因が癌ではなく転倒だったらウケるな。そんな事を思いながらお見舞いに行くのでした。

piccolo

緩和病棟15



母は退屈そうにしています。piccoloです。

義理の父と母が、オカンのお見舞いに来てくれました。わざわざすいません。入院してひと月半が経ちました。いつ急変してもおかしくないと言われたのが嘘のようです。おそらく年は超えられると思われ、正月は家に帰る気満々なご様子。その時が来たらまた考えますが、きっと外出する体力は残っていないのではないかと想像するのです。

今年もあと1ヶ月を切りました。夏が終わると同時に、物凄いスピードで母の週末期の事案が進みました。何かに導かれるように、とんとん拍子に話は進んだ気がします。それとは逆に、子供達がすくすく育っています。毎日元気に、無邪気に、暴れまくっています。ああ、ワシは今生きてるなあと自分の立ち位置を確認します。

流さずにその時その時を受け止めよう。そう思うのです。

piccolo

緩和病棟その14



麻薬を使い始めました。piccoloです。

腹水が溜まり、妊婦のようなお腹をした母は、そのお腹の張りから横隔膜を圧迫し、呼吸苦に繋がってると病院から説明を受けました。その苦しみを和らげるために麻薬を使う事を勧められていた母は、一向に拒否をしていました。

一週間ぶりとなったお見舞いだったので、最近の様子を看護師に尋ねたところ、数日前から麻薬を使い始めてる事を聞きました。最初の段階の弱い物らしいのですが、物凄い楽かと言えばそんな事はないらしく、まあ良いんじゃない。程度なんだとか。何がキッカケで麻薬を受け入れ出したのかは不明ですが、一週間で少し痩せたような気がしました。改めて苦しみなく逝って欲しいと思うのです。

花が好きな母は、一輪挿しの花を楽しみにしています。今日はオレンジ色の薔薇を買って行きました。先日買った物は、蕾だけとなっていましたが、薔薇と組み合わせて「あーでもないこーでもない」と、試行錯誤していました。



少しずつお見舞いの頻度が下がっていますが、ワシと嫁と孫、母の病院での、それぞれの生活に慣れてきた感があります。溜まった疲れは少しだけ軽減されましたが、自分の貧弱な体力では仕事と看病と育児の手伝いと言うルーティーンをこなすのは、なかなか難儀であると思い知らされました。

環境が変わりつつある職場、死にゆく母、逃げ場のない自分の立ち位置が、逃げの人生を選択してきた自分には何よりストレスなのだと痛感しています。戦う気力もない事が、今の憂鬱な気持ちに拍車をかけるのでした。

piccolo

緩和病棟その13



部屋が変わりました。piccoloです。

入院して約二週間、部屋が移動になりました。どちらも差額ベッド代金は無料のお部屋なのですが、今まではナースステーションの前の部屋でした。それくらい緊急性がある患者だったと想像します。病状が落ち着いた今、改めて重病の方が入院して来るので、部屋を移動してはもらえないかと、病院から相談されたのでした。

我々家族は従うと答え、全ては母の意思に任せました。意外と病室に慣れた感があったので、環境が変わる事を拒むかもしれないと思ったのですが、すんなりと母も了解したようでした。しかし、部屋を移ってからの母の落ち込みはかなりの物で、私は用がなくなったので隅に追いやられたんだと、マイナス発言が続いていました。今までの病室がよほど高価な部屋で、実は有料部屋だったのに緊急性を感じた病院が無料で提供してくれたのかとも考えました。しかし、新しい母の病室に行ってみると、以前の部屋と全く変わりない間取りで、何が不満なのか全く理解出来ませんでしたが、聞けばドアを開けた時に壁なのが嫌なのだとか。何か圧迫感みたいな物を感じてるようでした。

最近病院内のカフェに行くことが母の楽しみでありまして、今日も孫と一緒にランチをして来ました。



ワシはあまり美味くないのでとっとと病院を後にして美味い飯を食いたいと言うのが本音ではありますが、母のお見舞いと堪えて親孝行するのでした。

お見舞いから帰ると、嫁の調子があまり良くない様子。久しぶりに息子君と公園に行きました。



相変わらず公園の遊具では遊ばずに公園の周りを走り回る変わった息子君。かなりの時間をマラソンに費やし、彼のリクエストで四文屋に寄りました。



「父ちゃんやきとり食ってこ。」が、彼のデフォルトのようで、この日は生ビールとグレープフルーツジュースで乾杯しました。

仕事とお見舞いの両立が、少しお疲れなpiccolo家なのです。

piccolo

緩和病棟その12

夜勤前に病院に寄りました。piccoloです。



区から届いたパット、タクアンやラッキョウをタッパに詰めてお見舞いに行きました。今日は入院費が清算される日、支払いの為に会計に行きました。



差額ベッド代金は無料ですが、1日400円のテレビ視聴代、1日3食提供される食事代などを含めると、1ヶ月で80,920円。正直自分の経済力では厳しい金額ではありますが、差額ベッド代金が無料の部屋に入れた事と、健康保険制度に心から感謝するのです。

親孝行は出来ませんでしたが、せめて最後はワシが責任を持たなくてはと思うのです。

piccolo

緩和病棟その11



一輪挿しです。piccoloです。

母からリクエストされていました、一輪挿しを届けて来ました。花が好きな母は、部屋に一輪挿しがあればと嫁にリクエストした様です。嫁は一輪挿しを購入し、ワシに託しました。花はワシに任せると。で、花屋のお母さんに一輪挿しを見せて「これに合う花下さい」とお願いし、冒頭の花が選ばれた訳です。

まあ納得した様で何よりでした。次回来る時は、
『梅干し』『らっきょう』『たくあん』『しば漬け』が欲しいとリクエストされ、持参する予定。米が喉を通らなくなっているらしく、生きる為にご飯のお供が欲しいとの事でした。最後まで命を捨てず生きようとする姿勢にリスペクトし、病院をあとにしました。



piccolo

緩和病棟その10



11月はお天気が良いです。piccoloです。

今日から遅番続きです。遅番終わりでお見舞いに行きました。20時45分に病院に行ったら、オカン寝てました。そそくさと病院を後にするのでした。

piccolo

緩和病棟その9



良いお天気でした。piccoloです。

午前中に娘ちゃんを耳鼻科に連れていってから、お見舞いに行こうと話していました。しかしいつもは1時間と寝ない娘ちゃん、こんな時に限ってよく寝てくれます。

12時を過ぎたので、飯を食ってから行くことになりました。夫婦でのラーメンは久しぶり、病院に行く途中にある【真白】さんに寄りました。

最近のラーメンには玉ねぎが生で入ってるんすね。臭い決定やないすか。食べて思ったけど、こんなに玉ねぎいらない!スープは最後まで飲み干したいけど、ネギが残るから飲み干せない。そこ考えて!スープも麺も美味いのに、なんだか惜しい感いっぱいで病院に向かいます。

おばさんが居てビックリしました。母の妹です。母としては息子、嫁、孫のコラボにおそらくは嬉しかったんじゃないかと想像します。声にも張りがありました。入院してから社会との接点が無いことから、人の来訪は嬉しいようです。ただ、すぐに疲れてしまうので、お見舞いに来てくれた方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

しかしなんだか、入院してから逆に元気だと言う気がするのは三食しっかり食べているせいなのか?お見舞いに来る人全てがビックリしています。ただ、お腹の張りは酷く、叔母も触ったらゴリゴリに硬かったと言っていました。腹水か、癌か、やはりお腹の中に増殖しているようです。

家では入らなかったお風呂も、病院では週に二回ぐらいは入っているようです。きっと定時で薬を飲む事が、体の負荷を軽くすると想像します。自分でコントロールしてるからと、処方された薬を殆ど内服していなかった母。きっと薬の種類が分からなくなっていたのかな?

入院して半月が経ちました。雨の多かった10月でしたが、晴れた空を眺めると、少しだけホッとするのでした。



piccolo

緩和病棟その8



夜勤明けの晴天です。piccoloです。

今日は仮眠した後、息子君を保育園に迎えに行き、そのまま婆ちゃんの見舞いに付き合ってもらいました。少し具合が悪いのか、肩呼吸をして椅子に座る母の姿がありました。それでも医者から「どうですか?」と問われれば、「何も変わりありません」と答えてるのだろうなと想像するのです。薬を選択するのは母の自由、ならば家族は苦しそうでも見守るしかないじゃありませんか。

婆ちゃんの足元で将棋の真似事をする息子君、悪さばかりするので、婆ちゃんは少し辛そうでした。今は息子よりも娘の方が可愛いようです。

少し遅れて娘ちゃんが到着しました。やはり嬉しそうです。



腰も座ってきて、お座りが上手になりました。しばらく婆ちゃんの膝の上に居ましたが、すぐに疲れてしまうようですね。でも、こうしてそばに孫たちがいる事が嬉しそうです。もう一緒に暮らすことは出来ないけれど、ギリギリまで共に生活をしました。残りの人生は、苦しみのない人生を願うワシなのです。

病院では専ら日本地図のパズルに夢中の息子君。


パズルが好きとは、なかなかの秀才か。まずないな(笑)

お見舞いの帰りには、やはりワシの行きつけの居酒屋【青鋼】でご飯を食べました。

店主と女将の息子さんが、うちの子とタメでありまして、オープンしたのが丁度うちの子が生まれた時期という事もあり、よく行くようになりました。キッズスペースがあり、子連れでも楽しめるお店なのが特徴の一つでもあります。うちの子は、食べる事を忘れ、ひたすらオモチャの山で遊ぶのでした。



親の勝手で連れ回した結果、この夜から熱発する我が子なのでした。

piccolo

緩和病棟その6



2017年10月24日、天気は曇りです。piccoloです。

入院して一週間、今日は先生からのお話がありました。インフォームドコンセントです。孫のお見舞いに、やはり嬉しそうな母の姿がありした。

食事は半量希望で8割ほど食べているそうで、三食規則正しく食べられている様子。入院して最初の3日ぐらいは、ナースコールがあってトイレに行ったと言われました。お通じもコンスタントに見られているようで、今のところ急な様子変化はなさそうです。今の苦痛は、お腹の張りから横隔膜を圧迫しているであろう呼吸苦だそうで、この苦痛を今後本人と相談しながら麻薬で和らげていくとの話でした。

本来ならひどい痛みであると、人からは言われるのですが、母は全く自覚症状がなさそうです。我慢というよりも、本当に自覚症状がない感じを受けます。でも、苦しみがあるのなら積極的に麻薬を使って欲しいとワシは願うのです。最後の最後ぐらい、恍惚感いっぱいで天国に旅立って欲しいと思うのです。

一度帰宅し、夕方からはお兄ちゃんと一緒にお見舞いに行きました。



久しぶりに上の子と時間を共にするなと言う印象を受けます。やっと、一緒に遊べるようになったかな。まあそのうち遊んでもらうようになるんでしょうな。母を喜ばせるつもりでお見舞いに行ったけど、ワシが息子に癒されたと言うオチでした。

piccolo

緩和病棟その5



夜勤明けです。piccoloです。

今日も雨でした。小雨の降る中、仕事帰りに病院へ寄りました。母からは郵便局から二万円おろしておいてくれと頼まれます。受容して了解するフリをしましたが、貯金はゼロです。ワシの財布から後で渡すとします。

買い物したいと言われ、売店まで行きました。入院してから活動的と言うか、風呂には入る、買い物には行くで、どうしちゃったんどろうと思うことが度々あります。もしかしたら病室での生活にストレスが溜まっているのかもしれません。訪問看護から、明日急変もあり得ると言われたことに疑問を持つ自分がいます。

滞在時間30分ほどでしょうか。会話もなく、買い物に行っただけでした。そんな今日は入院5日目です。

piccolo

緩和病棟その4



雨のち曇りでした。piccoloです。

夜勤入りで病院に寄りました。今日も風呂に入れたそうです。家にいる時は一カ月近く入らない事がザラだったのに、週に2回は入っている計算です。驚きです。認知症の症状もなく、ホッと胸をなでおろしています。今まで辛いのに在宅で頑張っていたのかもしれません。

以前の職場の店主達がお見舞いに来てくれたと、話を聞きました。共に働いていた、母よりも若い方が同じく癌であると聞き、驚きを隠せませんでした。母よりもやせ細ってしまったのだとか。

お見舞いに行っても特に会話はなく、15分程度で退散しました。きっと10分でも20分でも、顔を出す事が大事であるんだと信じています。

piccolo

緩和病棟その3



久しぶりにお天気が良かったですね。入院3日目。piccoloです。

今日の仕事は早番で、16時半に勤務終了になるため、家族でお見舞いに行きました。やはり孫の登場に、張りのある声で出迎える母の姿を見て、何も親孝をせずに好き勝手生きて来たけど、孫の顔を見せられた事に少しだけ安堵するのでした。しかし30分もすると疲れの表情を見せ始めます。それでも気丈に振る舞っていますが、悪さし放題のお兄ちゃんに声を荒げるシーンも見受けられ、日常の空気感が生まれる事に、ホスピスの意義を痛感するのでした。積極的な治療は行わず、ゆっくり下降して行く命を、共に歩むというスタンス。こうして日常に近いシーンを演出して行ければとも思いますが、そんな事をしなくても孫が「ばあちゃーん」と会いに行くのが一番良いのかと思っています。

帰りには家族で地元の居酒屋でご飯を食べました。





奥さんも今日は家事をサボらせて欲しいと、家族で美味しく頂いたのでした。仕事、子育て、病院。その反復で、共に旅立ちの時を迎えようとしています。

piccolo

緩和病棟その2



少し疲れました。今日は曇りですね。piccoloです。

入院の手続きも終わり、ホッとしたのも束の間、今日もお仕事でした。リーダー業務を行うも、回りの動きについて行けてない事に、自分の疲れを感じます。

仕事の帰りに母に頼まれていたスリッパや衣類を届けました。滞在時間10分でしたが、一応顔を出しました。2014年に病院にお見舞いに行った事を思い出します。これからどうなるのかが見えず、不安だった毎日が甦るのです。今、その戦いが幕を閉じようとしています。あと少し集中して行きたいと思っています。

2014年、母は抗ガン剤治療を行わない決意を固めていました。しかし知人の説得やドクターのアドバイスで科学治療を決めた母。今まさにその時に帰っているような気がするのです。ああ、あの時科学治療しなければこんなに苦しまなかったんじゃないのかな。そう考えるのです。ただ生かされただけなんじゃないか?ふと負の思考がよぎりますが、子供達の笑顔を見るとその生かされた期間で初孫の成長を見届け、二人目の孫に出会えんだと考えると、苦しんだ3年半ですが意味があったんではないかと思いたい。

帰り道に、そんな事を考えながら自転車を漕ぐワシなのです。

緩和病棟その1



2017年10月16日。雨です。piccoloです。母がホスピスに入院しました。珍しく休みもなしに動き続けています。ちょっと疲れた。

本日ワシの母が入院しました。そこで記録しておきたい事は介護タクシーの事でありまして、家から病院までの道のりを介護タクシーを使用しようと、初めてそのサービスを選んだのですが、まだまだの業界だと遺憾に感じたのです。

インターネットで片っ端から電話をしました。イメージでは、営業窓口があってそこから配車手配をするのかと思っていました。しかし実際は個人営業で、運転しながら客を得ると言うスタンス。電話をかけると何分後に掛け直すと言われて電話を待つというもの。で、こちらの条件を伝えるとそれは出来ない、その日はダメ、日時は良いけど患者を抱えて階段は降りられないなど、意外に条件に合う業者が見つかりませんでした。

家の近くに、条件の合う業者さんが見つかりました。

ワシの条件は

1)我が家は団地の二階で、そこから患者を抱えて階段を降りてくれるか?

2)車椅子はレンタルしているか?

3)病院の外ではなく病棟まで来てくれるのか?

4)ワシはタクシーに同乗せずに現地集合出来るか?(帰りの足がないので、自転車で現地まで行きたかった)

の四つ。

この条件を満たしてくれたのが今回お願いした○○○と言う介護タクシー業者。朝早い時間はなかなか見つからなかったのですが、9時ちょうどには難しいが、10分ほどすぎても良いならば伺えるとの事で依頼しました。そして当日時間通りに来てくれました。母は自分で階段ぐらい降りられると気丈です。ゆっくり階段を降りる母は、階段の下の車椅子に乗る事が出来ました。車椅子をバンの中に乗せ、いざ出発しようとすると…
ウイウイウイ…
ウイウイウイ…
エンジンがかかりません。ドライバーは「あれあれ?」と、1mmも焦りを隠さずに不安を露わにしています。何度も何度もエンジンをかけますが、シーンと静まり返った車内は、以後覚醒する事はありませんでした。おそらく階段を自力で降りたせいでしょう。母の血中酸素濃度が下がったのだと思います。「耳鳴りがする。高山病にかかったようだ」と訴える母。ドライバーはJAFへの連絡で忙しそうです。外は大雨、静まり返った車内にはワシと母が置き去り。10分、20分と時間だけが過ぎていきます。痺れを切らせてワシが外に出て「拉致があかないので他のタクシーを拾おうかと思うが、こう言う時には代替えの予備はあるか」そう確認しました。すぐに仲間のタクシーを呼んでくれましたが、なんとなく腑に落ちません。代替え車が来たのは、約束の時間を30分以上過ぎていました。当然入院予約時間を過ぎる計算になります。もう笑い話ですが、これからホスピスに入院する患者を車内に置き去り、具合が悪くなったと言っても「大丈夫か?」の声かけもなし。客の心配よりも、自分の車を最優先に心配する。滅多に起こらない事態なのでしょうが、この業界大丈夫か?と思いました。しかし考え方を変えれば、子供が成人しないうちにワシが定年を迎えます。まだまだ働かなくてはならないでしょう。その時に介護施設で働く自分の姿を想像出来ないでいます。しかしこう言う仕事もあるなと、そう遠くない未来を思う自分がいるのです。ワシならばもう少しマシな介助が可能で、ある程度老人介護に慣れている。あとは運転が下手で方向音痴である事をなんとかすればこの仕事行けるかもと考えるのでした。その時までにAIが発達している事を祈る。

代替えの業者の方が親切な人で、とても安心して病院まで来る事が出来ました。それは唯一良かった事。こんなトラブルが無ければ、この業界に落胆しなかったのでしょうが、出会い頭のこの件に、介助タクシーに不安を感じるのでした。

母は生きて帰ることのないこの道を、最悪のサービスで走り抜けるのでした。遠くにドナドナが聴こえるようです。

piccolo

旅立ちが近づいている


写真はイメージです。

余後数ヶ月です。piccoloです。

2017年10月16日に、母が緩和病棟へ入院します。9月29日の訪問看護で、かなり悪い状態です。急変も覚悟した方が良いと言われました。立ち上がっただけでサーチレーションが90%以下に下がる、外からは見えないだけで痛みは相当酷いだろうと。それを聞いたのは嫁でありまして、すぐにでも緩和病棟を探さないととアドバイスを受け、仕事の兼ね合いと緩和病棟の予定日を照らし合せて、最短の面談日を見つけられたのが10月13日でした。登録しておいて空きを待つのだと聞かされていたので、せめてその順番を決めるだけでも。しかし間に合うのか?それまでに在宅で耐えられる痛みは襲ってこないのか?内臓は破裂しないのか?後ろから急かされる不安との戦いの数週間でした。

実は訪問医療と訪問看護が決まった時に、安堵した自分がいました。何かあっても24時間いつでも連絡が出来る。容態が変わったら入院することが出来る。吸引などの医療行為を行ってもらえる。そんな心の油断が、母の病状に無関心になっていたのかもしれません。確かにお腹の張りは凄かったですが、訪問医には特に何も言われなかった為、看護師に言われた母の状態は寝耳に水でした。6月に緩和病棟を探しておいた方が良いと宿題を出されていましたが、訪問医療が開始するまでの時間に疲れてしまっていました。緩和病棟を探すことを躊躇したのです。母がこの状態になり、「旅立ちが近い」と言われてから必死に病棟を探すのでした。

一つの病院に絞るべきなのか、何個か掛け持つのが良いのか、そんな所から悩み始め、取り敢えず一つの病棟に照準を絞りアタックしたのが10月の頭。その面接日が10月の13日であったのです。その間にも、いくつかの病棟に問い合わせ、面談日を設定しました。

【差額ベット代】

自分の経済力からこれは大きな問題となりました。無料の部屋に空きが無いことは、容易に想像出来ます。1日8千円ならばなんとかなると思っていた自分は、ベット差額に保険がきかない事を知りませんでした。自分の愚かさを呪い、藁をも掴む思いで訪問医に相談したのです。

Dr.は、今日明日に急変するとは思えないが、余後を教えて欲しいと言うならば、長くて3ヶ月ではないかと言われました。そこでインフォームドコンセントを求めたワシが聞いたのは、紛れもなく末期癌患者の状態だったのです。

1)一番懸念されるのは腸閉塞の再発。
お腹の具合と、腸に再び現れた癌により腸閉塞を起こすことが今一番恐ろしいことなので、お通じが出なかったらすぐに教えて欲しい。

2)癌性腹膜炎
日大でも説明されたと思うが、腸から浸潤した癌は腹膜に転移して腹膜炎を起こしている。最近の画像でもそれを見受けられた。

3)肝臓、肺に転移
抗がん剤でなくなっていた転移した癌も、最近の画像から確認出来ている。

4)溜まった腹水
検査をしていないので一概に言えないが、お腹の張りを見ると腹水が溜まり始めて他の臓器を圧迫している。

5)痛み
骨に転移した痛みではないと思うが、おそらく臓器を圧迫しての痛みでしょう。看護師からも、我慢強い人なので本来なら相当の痛みのはずと指摘される。

10月の頭に、そんなやりとりを受けて情報提供書を作成してもらいました。三つの病院に問い合わせをして、二つの病院に面接のアポイントを取りました。その最初の面接で、母の状態を洗いざらい説明したのですが、訪問医にアドバイスを受けた一般病棟への入院は、柔らかく拒否されたのです。強引なやり方ではあるが、何か急変した時は救急搬送してくる方法もあると聞かされました。一番最善の方法は、ベット差額が無料の部屋が空くまでは、有料の部屋に入院して無料の部屋を待つと言う物でした。しかし悲しいかな、その経済力は自分にはありません。1ヶ月無料部屋が空かなければ、30万円近いお金がかかると言う事です。この金額が高いのか安いのかは、それぞれの経済力なのでしょうが、自分の力では正直厳しい額でした。面接では何度も失礼な質問をしたと思います。「だいたい無料の部屋が空くのはどれくらいなのか?」それに尽きるのです。当然病院側は、人の命の期限は測れないために、明日なのか何ヶ月も先なのかは言えない。と言う返事。よく解ります。この人の命はあと2日と分かっていれば即答出来ますが、命の期限は誰にも分からないのです。勝手なワシ、なんて失礼な事を言っているんだと自身を呪います。その旨をお詫びし、病院を後にしました。

その日10月13日には、訪問入浴の契約の日でもありました。1ヶ月以上風呂にもシャワーにも入れていない母の衛生面を考えての事でした。認知症状の出始めた母は、立ち上がるだけでサーチレーションが90%以下に下がると言うのに、自分では入れていると言い張ります。勿論そんな事実はありません。本気で入浴出来ていると思い込んでいました。「ああ…認知だ。」経験上そう思いました。これは無理矢理にでも入ってもらわないといけないレベルだと思ったワシは、嫁のアドバイスもあり、ケアマネに相談したのでした。無理矢理に入浴介助を行うことは出来ないと思うで、訪問入浴を入れてみましょうかと言うことだった。それでも入るのだろうか。正直辛いのであれば入浴なんてと言う気持ちもありました。しかし、ホームレスさながらの匂いが部屋に充満した環境が、健全である訳がありません。そこでケアマネに頼った結果が訪問入浴だったのです。

緩和病棟の面接から帰ってくると、訪問看護を受けている母の姿がありました。バイタルチェックなど、いつもと変わらないサービスを受けている母を眺めながら面接の状況を嫁に共有します。その最中、お風呂に入ると言う母の声を聞き、急いで湯を沸かすのでした。何が切っ掛けなのか解りませんが、それまで頑なに拒否をしていた入浴介助をすんなりと受け入れたのでした。狐につままれる。そんな気持ちを抱きながら訪問入浴の契約を待ったのです。

その契約の途中に信じられない事が起きました。面接をした病棟から、審査の結果、今決断してくれたら無料部屋に受け入れる事が出来ると言う連絡を受けたのです。さっきまで失礼な質問をぶつけていたワシの家族を、最優先に考えてくれていたことになります。しかし決めるのはワシではなく母です。即答出来ずに電話を切りました。その場には訪問入浴の相談員の方、ケアマネも同席していました。入浴はすでに数日後からサービスを始めると話し合ったばかりで、今起きている事を理解できないでいました。兎に角時間が欲しい。そう思ったワシは、返答を3日後にすると病院に伝えたのです。何よりも姨捨山に母を捨てると言う気持ちが、一瞬判断を濁らせたのでした。その夜にケアマネから連絡があり、無料部屋がこんなに短時間で決まる事はそうある事ではない。決断を早めるべきであると背中を押されました。直ぐに母にその旨を伝えると、「あなた達に迷惑をかけたくない。その線で話を進めて欲しい」と言われ、折り返し病棟に入院の意思を伝えたのです。

タイミング…

その何物でもないと、限りのある命を思うのでした。こうして母の終の住処が決まりました。ホスピスと言う場所が、最善の旅立ちの場所であるとは思いませんが、今の自分と家族には、在宅で看取る余裕はありません。しばらく仕事を休む選択もあるでしょう。しかし幼い子を二人抱え、親を介護すると言うことが許されるはずないと言う気持ちが今回の選択をさせました。選択したのは母ですが、そう誘導したのは紛れもなくワシでありまして、不本意ではあるがその選択をしてくれた事に素直に感謝するのです。

10月16日に母は入院します。最後の時がやって来ました。悲しいとか、悔しいとか、負の気持ちはありません。ただただ苦しまずに逝って欲しいと願うワシがいるのです。

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